bodytune

ユーディ・メニューインの凍らない構え

凍らない話

アレクサンダー・テクニークで読む『メニューイン/ヴァイオリン奏法』(序章)

まず序文です。メニューインはここでバイオリンを習得する上での難しさについて以下のようにまとめています。

-ヴァイオリンという楽器をマスターする上での特別な難しさ、そのためにとくに要求される、いくつかの点について考えてみよう。まず、楽器を支持するための、固定的な不動の支点ががなにもないこと、があげられる。ヴァイオリニスト自身にとっても、バランスをとりながら床に触れている、足の裏の部分をのぞいて、不動の支点はいっさい存在しない。ヴァイオリンは、奏者の流動的な全身運動と一体になって、その波うつような流れ、スイング運動、振子運動、円運動などに、はっきり応じ得る存在にならなければならない。それは身体のあらゆる関節、ヴァイオリンと弓とのあらゆる接触点の、流動的な動きを妨げるものであってはならず、また、その流れの中であらゆる方向に動かせるように訓練を積む必要のある、末端の筋肉や、指関節にまで、その動きを伝えるものでなければならない。

ここで特筆すべきポイントは、固定的な不動の支点がなにもなく、流動的な動きを妨げずに、流れの中であらゆる方向に動かせるように、というところです。

これは意外と大事なことで、楽器の構え方について(それがどのような楽器であれ)、我々は何かこう、このように持っていればどんなシーンにも対応できる、というような決定的な解を求めてしまわないでしょうか?ところがそんなものはないのです。運指やボーイング、曲想とともに刻一刻と変わる楽器と自分との(さらに地球の重力との)関係性をいかに無理なく流動的な動きを妨げずに調和させていくか、これこそが難しいとストレートに言い切っています。構え方についての決定的解があるという発想自体がありません。

アレクサンダー・テクニークでも、頭と脊椎の協調性とともに、全身の関節が動けることを許してあげる、ということを言います。その結果生ずる動きがどんなものであれ、それは体が、重力だったりやろうとすることに必要な力だったりを自己調整する動きです。望むらくはそれで音が良くなればいいのですが、体にとっては音が良くなるかどうかは知ったことではないので、そうならないこともあります(なので、慣れない、新しいやり方を試してみる時にはそれでどんな結果が出てもOKだと思ってやりましょう、ともよく言われます)。でも、結果を先取りしてこれはやっても無駄だとか思わず、まずは実験としてそれを試してみる、やってみると不思議なことに音も良くなる、そんなことが多いのもまた事実です。作為のない自己調整の動きが体のありのままの構造と無理なく合致するからでしょう。

-私が求めているのは、有機的な全体という感覚、わずかな振動をも感じ取る敏感さ、受け入れることへの積極性、動作への確信-動作を支え、信じ、受け入れることである ~ 人は動作に信を置き、途絶えることのない動作の連続性を信じるべきだ-それを信じてさからわずに従い、さらに練習を重ねれば、その信念は必ず動作の流れが完成される軌道へとあなたを導いてくれるはずだ (メニューイン『ヴァイオリンを愛する友へ』)

僕はまだ自分の動作への信頼が足りないのか、2、3小節もすると動きが破綻します。でも、いいのです。ローマは一日にしてならず、千里の道も一歩から、でも、必ず全ての道はローマに通ずると思えば、凍らない構えも最初の1小節からです。